八月になった。大学はちょうど二ヶ月間の休みに入る。
私は一刻も早くやるべきことを済ませたくて、夏休みの初日、八月一日にさっそく行動を開始した。
とある山奥の一角。うっそうと繁る森の中に、ポツンとひとつだけ建物がある。街までは車で三十分という辺鄙な場所。周りには建物も人の気配も、舗装された道路すらもない。
私は入口ドアの前に立ち、その建物を仰ぎ見る。
そこそこの高さ。おそらくは三階建て。真四角のコンクリートのかたまり。
気持ちの悪いことに、外壁には窓がひとつも見当たらない。建売り住宅ではありえない。おそらくはアイツが、犯行に使えるようにデザインしたものなのだ。
──憎しみのあまり吐き気がする。
インターフォンを押す前に、背中のバックパックからサバイバルナイフを取り出す。カバーを外して、右手にしっかりと握る。
緊張で口が渇く。私は唇を舌でなぞって、覚悟を決めてチャイムを鳴らした。アイツが中にいることは分かっている。出てきたら、有無を言わせず一刺ししてやる。それですべてが終わるのだ。
が、いくら待ってもドアは開かない。それどころか、インターフォンにも反応がない。
「あれ? いない?」
まさか居留守でも使っているのだろうか、疑問に思ってもう一度チャイムを鳴らそうと腕を上げたそのとき、後頭部に強烈な衝撃を受けた。
え、と思う暇もなかった。
私は前のめりに倒れ込みながら、意識を失った。
手首に鈍い痛みを感じて、私は目を覚ました。
まずはじめに感じたことは、両手両足ががっちりと固定されてほとんど動かせないということだった。
不思議に思って見れば、コンクリートの壁に革のバンドが埋め込まれていた。私はそれに両手首と両足首の四点を固定され、大の字に拘束されていたのだ。
(──くそっ……やられた……)
いくら力を入れて暴れてみたところで、やはり分厚い革はどうにもならない。ただ手首と両足に痛みが返ってくるだけだった。
私は仕方なく、アイツが現れるのを待つことにした。
目の前に広がった部屋を眺めてみる。なんの変哲もない六帖の洋室。フローリングの床に厚い白のマットレスが置かれているだけで、後は何もない。
さすがに照明とドアはついているが、壁には窓さえもない。一面、ただのコンクリート模様。
ヒントが少なすぎて、ここがあの建物のどのあたりに位置するのかも推測できない。
私は本当にまずいことになったと思った。
どれぐらい時間が経っただろう、ドアノブを回す音に、私は顔をあげた。
ゆっくりと開かれるドアの向こうから、一人の男が部屋の中に入ってきた。手に私のバックパックを提げている。
身体中に緊張が走った。恐怖、怒り、いろんな感情を胸に感じながら、男の一挙一動に注意深く視線を送る。
男は部屋の真ん中まで歩いてくると、マットレスに座り込んだ。そして私のバックパックを開いて、中身を確認していく。
私はここにきてようやく、至近距離から男の顔を確かめることができた。
居場所を突き止めてから半年ほどにもなるが、遠くからレンズ越しにしか見たことがなかったのだ。やっぱり近くで見ると、ずいぶん印象が違って見えた。
男の年齢は四十五。
どこにでもいる小太りの中年男性だという認識だったが、近くで見ると結構大きいことがわかった。私より二十センチ以上は背が高いだろう。
意外と筋肉もあって、腕の力も強そうだし、そこそこ運動のできそうな体型だった。
正直、相手を甘く見ていたのではないかと、自分を責める。
復讐心だけが先走り、冷静な判断力を失っていた結果が、今の状態なのかもしれない。
(……でもまあ、終わったことは仕方ない。今は今だ。これからはこれからなのだ。どんなに状況が厳しくなろうとも、私の気持ちも、目的も、決して変わりはしない。どうやらすぐに殺されるということはないらしい。──なら、きっとこれからでも何かしらのチャンスは必ず訪れるはず……必ず……)
私は積年の恨みを両目に込めて、男を睨みつける。今できることはこのぐらいだが、この後きっと──。
お姉ちゃん──、待っててね。
「美由紀……美由紀ちゃんか……ちゃんはいらんな……美由紀でええな……美由紀……」
男はバックパックから私のサイフを見つけ出し、その中にあった大学の学生証に目を凝らしていた。左手でサバイバルナイフを弄び、次から次へとカバンの中を探っていく。
「美由紀は何でここが分かったんや? ちゅーか、何者や。警察か思たけど……違うんか」
男はカバンに顔を突っ込みながら独り言のようにつぶやく。
私は世界で一番軽蔑し嫌悪している相手に名前を呼び捨てにされて、背筋がゾクッとするほどの気持ちの悪さを感じていた。
「はんっ、心当たりがないの? それとも多すぎてどれだか分からないのかしら」
男に舐められないように、精一杯虚勢を張った口調になる。普段は使わない言葉遣いだ。不自然に聞こえていないか少し不安になるが、男は気にした素振りもなかった。引き続き持ち主の目の前で荷物をチェックしている。
「五年前のことなんて記憶にないかしら。アンタに汚された女の妹よ、私は。警察もアンタを死刑にするどころか、捕まえることすらできないようだから、仕方なく私が殺しに来てあげたのよ。感謝しなさいっ!」
男は片手をあげて「おう、恐い恐いっ」と言った。ふざけている。どこまでも腹の立つ奴だ。
「五年前かぁ、そしたら、ん~、ん~、あ、おおおっ! もしかして……香織の妹か?」
驚きに目を見開いて、男が私の方に顔を向けて叫んだ。
姉を呼び捨てにされるのは自分の時よりも倍以上に腹が立つ。
「……そうよ、憶えてたみたいね……。どうせ何人もの女をさらって同じようなことをしてたんだろうし、てっきり忘れてるもんだと思ってたわ」
「いやいやいやいや、忘れるもんかいなっ。ワシは気に入った極上の女にしか興味ないからなぁ。さらったコはもちろん全員覚えてるわいな。な、恋をした相手を忘れる奴はおらんやろ」
(恋? ……なにが恋だ……こんなの……)
「いやぁ、香織の妹か、そうかそうか。そやからこんなに美人でスタイル抜群でピチピチなんやな。うまそうなコが来てくれたなぁ思うて。香織の妹なら納得や。そうそうおらんもんな、こんなむしゃぶりつきたくなる女は。そうか、あ~、香織かぁ。思い出すなぁ。香織。あのコはホンマにうまかったなぁ……」
ニヤニヤと笑いを浮かべて、いやらしい顔つき。頭の中でお姉ちゃんとここで過ごした日々を思い出しているのだろう。
私は歯を食いしばって怒りを抑えるのに必死だった。
「香織はワシのチンポが大好きやったなぁ。そうそう、ちょうどこの部屋や。ちょうどこのマットでワシは毎日香織のおねだりに付き合っとったんやで。香織が毎日マンコぬるぬるにして身体くねらせてワシを誘惑してきよるからなぁ、あの頃はほんまに……四六時中セックスしとったなぁ。どこに行くのも一緒でな。トイレも風呂も一緒に行って、もうずっとチンポハメてやってた気がするわ」
(──っ! ──っ!)
怒りで目の前が真っ白になる。なんだそれ、でたらめぬかして──。お姉ちゃんがどれだけ苦しんだかも知らないで──。
「で、お姉ちゃんは元気にやっとるんか? そうか、もうあれから五年かぁ。あいつのことやし、またうまそうに成長しとんのやろなぁ」
「……」
(……はぁ? 元気? 元気なわけないだろっ! ──おまえのせいでっ、おまえのせいでっ──!)
「まぁ、なんや、事情はわかったわ。でもワシはまだ殺されたないからな……。それよりもや……美由紀、おまえも香織の妹やからなぁ、ぐへへ、たまらんわ……お姉ちゃんには会えへんけど、代わりにおまえを堪能させてもらうことにするわ……たっぷりな。それこそあの時みたいにな……ああ……最高や……最近獲物が見つからんで飢えてたところや……。なぁ、おまえもお姉ちゃんみたいに楽しんでくれるとエエけどな……へへへ……」
下卑た笑いを浮かべ、男が腰を上げる。
[ 2012/01/04 19:05 ]
姉のカタキは女殺し |
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