エプロン姿でキッチンを動き回る。
今日の夕飯は、鶏の唐揚げにたっぷりのトマトとキャベツ。男爵イモのじゃがバターに、レンコンのきんぴら。それにチンゲン菜と玉子のスープ。
私がテーブルに茶碗を置こうとすると、
「──智美、今日はどうだった?」
すでに席に着いている夫に尋ねられてしまった。
「え……? ど、どうって──何が……?」
「何がって……。今日行ったんだろ? 病院。どうだったんだ?」
「ん、ああ……えっと、それは……」
私は手を動かしながらも、頭の中では今日体験した出来事をありありと思い浮かべてしまっていた。
──下半身丸出しで、あられもなく指マンでよがらされた。
──フェラ、させられた。だけじゃなく、精液まで飲まされてしまった。
(……あなたのじゃ……ないのに……)
うつむき顔を伏せ、彼の前にお箸を置く。何と言えばいいのか分からなかった。
「ネットでも調べてみたんだけど……すごいな、あの先生は。たくさんの女性が先生のおかげで妊娠できた、素晴らしい診察だったって書いてたよ。やっぱり不妊治療の神様と呼ばれるだけのことはあるね。本当にすごい人だ」
「……へ、へぇ……そうなんだ……」
「智美もそんなすごい先生に診てもらえるなんて運が良かったな。あの人ならきっと智美の身体も治してくれると思うよ。他のヤブ医者じゃあ、すぐにさじを投げられて終わりだろうけど」
「……うん……」
今日あったことを、正直に全部話した方がいいのだろうか……私は心の中で葛藤していた。
やっぱり隠し事はよくない気がする。そんな風に思った時だ。
「智美──先生の言うことはちゃんと聞いて、しっかり治療に励んでくれよ」
手を引かれて、彼の膝の上に座らされた。
そのまま強引に抱き寄せられ、口を吸われる。
「──んふッ……んむッ……」
頭の中にちゅぱちゅぱといやらしい音が響いた。
「──ぷはッ……ちょ、どうしたの……アナタ……」
戸惑う私に、彼は真剣な視線を向けてくる。両手で私の顔をはさみ込み、至近距離で瞳の奥を見つめてくる。
「俺、智子のこと──本当に心の底から愛してる。俺、絶対に智子との子供が欲しい……。だから……がんばってくれよ……。大変だろうけどさ……な?」
そしてギュゥッと音がしそうなほど、強く強く抱きしめられた。
胸がキュンとした。心が溶けてしまいそうになる。
私は確かに、今日のことはすべて彼に相談するべきなんじゃないかと考えていた。
結婚もして、愛し合っている二人なのだから──秘密などなく、いいことも悪いこともすべて共有してしかるべきなのではないかと……。
でも、そんな考えも一瞬で吹き飛んでしまった。
別にあれぐらいのこと、彼に相談するまでもないのかもしれない。
この人には、嫉妬や心配──そういった負の感情は抱かせたくない。そんなことよりも、この人には喜ばしい話だけをしてあげたい。
今なら、不妊が治ったという話が一番の理想だけれど……。
もしそれだけを彼にプレゼントすることができたなら、どれだけ素敵なことだろう。
そう。彼が聞いても素直に喜べないようなことは……話さなくていいんじゃないか。できれば彼の望む結果だけを聞かせてあげたい。
本当に愛し合っている二人だからこそ、言わなくていいこともあるんじゃないかと思う。
子供も作ることができない、世が世なら出来損ないの嫁だと言われるかもしれなかった私を、骨が折れるほど強く抱きしめてくれる彼。
こんな優しい人に、マイナスになるようなことは……もしあったとしても言わずにおきたい。私一人が抱えていればそれでいいだけなんだから。彼に対する罪悪感は大きいけれど、別に私自身はそれほど辛いということもないのだから。
うん。そう──。
私は子供をあやすように、彼の背中をポンポンと叩いた。
「……大丈夫よ、あなた……。全然大変なんかじゃないんだから。あなたとの子供を妊娠できるようになるのなら、少々のことは問題にもならないわ。うん、がんばる。がんばれるよ。私も本当に愛してるから……。あなたのこと、本当に、心の底から。だから──」
彼の目を見つめ返すと、自然と笑顔になることができた。
彼は私を引き寄せて、もう一度キスをしてくれる。そしてまた唇を離し、言葉もなく見つめ合う。
そしてまた強引に舌を吸われて──。
おかずが冷めてしまうのも気にせずに、私たちは二人で何度もキスを交わした。
見つめ合い、微笑み合い、これでもかというほどに愛を確かめ合った。
改めて思う。
私は本当に、この人のことが好きだ。
この人との子を授かるためになら、この人の「子供が欲しい」という願いを叶えてあげるためになら──私は何だってできる気がする。
──女性ホルモンを分泌させるためには、男性フェロモンが一番効果的なんですよ。
今日先生が言っていた言葉を思い出す。
(……いいわ……)
それで私の不妊が治るというのなら……。
それで彼の子供を妊娠できるようになるというのなら……。
がんばれる。
いや、絶対にがんばってみせる。
男性フェロモンぐらい、いくらでも摂取してやろうじゃないの。
妊娠しやすい「女」の身体になるように、「いい患者」になってやろうじゃないの。
初日であれだけ恥ずかしい思いをしたのだ。これから先、さらに大変なこともあるかもしれない。
だけど……。
(……うん)
私は彼に抱かれながら、心の中では今後の治療に対して新たな誓いを立てていたのだった。
絶対にやってやる。もしかしたらこれが最後のチャンスなのかもしれないのだ。彼との幸せな未来のために、今できることは全部やってやろう──。
「こんにちは……奥さん。今日もお綺麗ですね」
翌日の午後。診察室に入ると、真壁先生に出迎えられた。
白衣を着た彼の前に座る。
と、すぐに身体に触られてしまった。今日の私は半袖のTシャツにフレアスカートという格好だ。
先生は露出した私の二の腕と太ももに手を添えて、すりすりと肌をさすってくる。まるで肉の感触を確かめるようないやらしい指の動きで──。
「……」
私は黙ってその行為を受け入れていた。
この診察室の中では、彼こそがルールであるような気がしていたから……。
不妊治療の神とも呼ばれている真壁先生に対して、素人の私が口を出しても、妊娠が遠のくだけだと思えてしまったのだ。
「……んッ……」
Tシャツの上から、乳房を鷲掴みにされる。
唇を指でなぞられた──かと思うと、その指が強引に口内に侵入してくる。
「……ンムッ……ン、……んふぁ……」
先生は何も言わない。じっと私の顔を見つめては胸を揉み、舌を指で撫で回してくる。
そして数分後。
ようやく彼が手を引いた時には……その左手は私の唾液でテカテカと光ってしまっているのだった。
あまりの恥ずかしさに下を向く私の前で、先生は何ごともなかったかのように白衣のすそで指を拭いた。そして口を開く。
「では、今日は少し問診をさせてもらいましょうか。いろいろとお聞きしたいことがありますので……。まぁ、中には慣れない質問もあるとは思いますが、診察の一環ですから……くれぐれも恥ずかしがらずに、正直にお答えください──」
先生はそう言うと、「いいですね?」と私の顔を覗き込んでくる。
「……はい……」
もちろん私はそう答える他になかった。
先生はボールペンを弄びながら、問診を始める。
「──ではまず、最初の質問です。ええっと……今現在、旦那さんとは……週に何回ほどセックスをなさっていますか?」
性にまつわる症状を治そうというのだ。そりゃあ、恥ずかしい質問だってされるかもしれないと思ってはいた。
でも、いきなりこのレベルの質問が来るだなんて──。
私は軽くショックを覚えた。
が、もちろん答えずにいることはできない。この先生にだけは、正直に話さなくてはならないのだ。
私は思い切って言葉を返した。
「……週に二回か、三回ぐらいです……」
「なるほど。ニ、三日に一度ぐらいのペースですか」
「……はい……」
「奥さんは二十八歳でしたよね、ええと……旦那さんも?」
「……はい、一緒です。彼も二十八です……」
「そうですか──でしたら、やっぱり少ないですね。私があなたと結婚していたら……きっと毎日でも抱きたくなるんですがね。しかも一日一度とは言わずに、何度でもね。暇さえあれば挿入していると思いますよ。前から後ろからズコバコズコバコとね。ほら、奥さんのように可愛らしい顔をした上で、これほどまでに見事な身体をしている女性なんて、探したって見つかるもんじゃないですから」
膝に置いた手を固く握り締めて、気恥ずかしさに耐える。微妙な表情をしているだろうことを自覚し、先生に知られないように下を向いた。
「ああ、すみません。治療とは無関係でしたね。つい本音が出てしまいました。いや、あなたのような美人を前にするとついね……。すみません、どうか気になさらないでください」
「……あ、いえ……大丈夫です……」
私が慌てて顔を上げると、先生は安心したという表情を浮かべてさらに質問を続けるのだった。
「じゃあ次に──。ええと、旦那さんとのプレイについてなんですけど……普段は奥さん、どんな感じでセックスをなさっていますか」
「え? ど、どんなって……。いたって普通だと思いますけど……。普通に、その、恋人同士がしているような……」
「アブノーマルなプレイというのはしませんか?」
「ア、アブノーマル……ですか……。そういうのは、あまりないです……。たまにお風呂で……とか、キッチンで……とか、そういうのはありますけど……」
「ああ、お風呂ですか。いいですよねお風呂。いつも旦那さんと一緒に入ってらっしゃるんですか?」
「いえ、基本的には別々ですけど……その、たまに彼が入ってくることがありまして……。私が身体を洗っている最中とかに……」
「なるほどね。そしてそのまま旦那さんに抱きつかれて挿入されるという訳ですか」
「……あ……それは、えと……」
「奥さん、恥ずかしがらずに正直に答えてくださいと──先ほどもそう言っておいたはずですよね?」
「──す、すみません……。はい……挿入というか、その……はい、夫に……抱かれます……」
「お風呂場の中で?」
「……はい……」
「なるほどなるほど。そうですか……。いや、いいもんですからね、お風呂場でするセックスは。水分を含んでしっとりツルツルになった肌で抱き合うと、普段とは違う密着感がありますからね。奥さんも気持ちよかったんじゃないですか? きっと旦那さんだって、お風呂に入ってる時のあなたの肌が大好きなんですよ。いやぁ、どうしてお風呂に入っている女性の肌はあんなにも魅力的なんでしょうかねぇ。卵のように張りがあって、瑞々しくて……。かくいう私もあのピチピチした感じが大好きでしてね。本当に、全身を使って思う存分抱きしめたくなります。強く肌をこすり合わせるともう幸せで幸せで──」
「……」
「ああ、また関係のないことを……。いや、ついね。すみません」
「……いえ……」
「それじゃあ、あとは……うーん、そうですね、これは今後の治療に大事になってくることだと思うのですが……」
「はい」
「奥さんは自分の性感帯がどこかは把握してらっしゃいますか」
「え? 性感帯……ですか」
「はい。性感帯です。セックスなどの最中、ココを責められたら堪らないといった場所です。心当たりはありませんか」
「いえ、特にこれといって……ない、と思います……」
「なるほど、そうですか。まあ、ないはずはないと思うんですけどね。もしかして今までそういうことは意識せずに来られたんでしょうか。実際に性感帯はあるのに、本人が気付いていないというのはよくあるパターンなんですよ」
「……はぁ……」
先生はそう言うと、手にしていたボールペンを机の上に置いて私に向き直った。その顔が、いいことを思いついたと雄弁に物語っている。
「そうですね。どうせなら今日この場で──調べてみましょうか」
「え?」
「ええ、それがいいでしょう。そうしましょう。奥さんの身体の中で──どこがどれぐらい感じるのかということを、今のうちにチェックしておきましょう。その方が、今後の治療だってやりやすくなると思いますから」
「え? あのっ……」
私の戸惑いもよそに、先生は椅子から立ち上がり、そそくさと準備を始めてしまう。
そして、顔だけを私に向けて言うのだ。
「じゃあ、着ているものは全部脱いでください」