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淫虫症の女 2-1

 私、吉岡由里三十歳は、結婚して二年目の人妻。

 今まではごく普通に幸せな結婚生活を送っていたのだが……半月前の二十五日、どこかで淫虫に感染してしまったようなのだ。

 そして、そんなことは知らないままで、夫との生中出しセックスをした。

 まあ、夫婦なのだから当たり前のこと。

 けれどそれで、私の子宮は淫虫のモノとなってしまったのである。



あい



「本当に大丈夫かい? 由里」


 朝。仕事に出る夫が、玄関口で私のことを心配してくれる。


「大丈夫よ。ホントにもう、心配性なんだからぁ」


「いや、だって……」


「毎晩あなたに精を注ぎ込んでもらってるじゃない。半日ぐらい淫虫も大人しくしてくれてるわ。ほら、また帰ってきた時にたくさん抱いてくれればいいんだし。ね、あんまり心配しないの」


「まあ、お前がそう言うのなら……。でも、本当に平気なんだな? 我慢できなくなったりしないな?」


「もう、大丈夫だって。そんなに心配?」


「ああ、もう心配で心配で……。仕事中もずっと由里のこと考えてるよ。俺、本当に由里のこと愛してるからさ。淫虫のせいだと分かっていても……由里が、その、他の男とどうにかなるのなんて……耐えられないんだ。だからッ──」


「ふふ、だ、い、じょ、う、ぶ! 私だってアナタのこと愛してるんだから。何があっても、他の男が欲しくなったりなんてしません。ね、本当に辛くなったら、アナタのことを考えてオナニーするわ。帰ってきたらすぐエッチできるように」


「由里……」


「だからほら、もう心配しない。ちょっとは自分の妻の意思の強さを信じなさなって。ね? 毎日出かける時にこんなにも不安になってたらこの先持たないでしょ? 私たちの結婚生活はまだまだ始まったばかりなんだし」


「あ、ああ……悪い。で、でも、本当に辛くなったら──」


「分かってるって。その時は電話でもメールでも、何だってします。だから、ね?」


「ああ……すまない。じゃあ、行ってくるよ」


「はい、行ってらっしゃい。愛してるわ。アナタ……」


「俺もだよ。愛してる。由里」


 夫とキスをする。

 淫虫を刺激しないように、唇を重ねるだけのソフトなキス。

 サンダルを履いて、ドアの外まで出る。

 マンション四階の廊下を歩いていく彼の後姿を見送り、角を曲がるところでもう一度手を振り合う。

 夫の姿が完全に見えなくなってから、私は部屋に戻った。

 ドアを閉め、しっかりと施錠する。

 彼が心配するように、今の私は「淫虫症患者」なのだ。

 もしも誰かにドアを開けて部屋に入られるようなことがあれば、そしてそれが男性であったならば……その先は察するに余りある。

 生身の男に擦り寄られると、とてもじゃないが人間の意思ではどうすることもできない状態に陥るのだ。それこそが、淫虫症の最も恐ろしいところ。


「よし」


 けれどそんな厄介な症状だって、玄関のドアに鍵を掛けておけばひと安心だ。

 ここはマンションの四階。ここ以外の場所から誰かが入ってくることはないのだから。



 と、このように──。

 つまり私は、淫虫症を発症してからの半月ばかり──ほとんど一人では外に出ない生活を送り続けていたのだった。

 ドアに鍵を掛けて、夫以外の男性とはまず会わない生活。外に出る時は、必ず夫同伴。

 家の中でできる最低限の家事をしているだけ。買い物からゴミ出しまで、他のことはすべて夫任せ。

 まぁ、今の時代それでも十分に生活できてしまうのだから、私はそれほど窮屈さも感じていないが。

 テレビもネットもあるし、暇ということはない。

 夫がいろいろと気を使ってくれているおかげで、生活面での不満は特にないし。どちらかと言うと、気楽で気ままな毎日である。

 彼には負担を掛けて申し訳ないと思うものの、彼の方こそが私にじっとしててもらいたいと言うのだから……。

 こんな生活でも、愛情いっぱいで、なかなかに幸せを感じている私なのだった。


「と、お掃除でもしちゃいますかー」


 やるべきことをさっさと済ませて、ゆっくりテレビでも見よう。

 そう思った瞬間、玄関のチャイムが鳴った。


「あ、はーい」


 私はインターフォンの受話器を取り、ディスプレイの液晶画面を確認する。

 するとそこには、見知らぬ一人の男性が立っていた。

 ジャージにTシャツというラフな格好。

 オートロックのマンションなのだから、きっと近くの部屋の誰かだと思う。

 年齢は三十代半ばか。私より少し年上な感じ。

 小太りでメガネ。失礼だが社交性のなさそうな人だった。

 オタク趣味のニートといえばこんな人を思い浮かべるだろうなという、まさにそんな風情の男だった。


「あの、どちら様でしょうか」


 私が話し掛けると、彼はドアの上に付いているカメラに向かってニタリと笑ってみせた。


「奥さんおはようございます。隣の部屋の六車ですよ」


「あ、ああ……おはようございます」


 そういえば隣の人の名前ってそんな感じだったっけ。

 一人住まいな上に、本人の姿もあまり見かけないのですっかり忘れていた。


「で、どんなご用件でしょうか」


 このマンションは、特に近所付き合いなど強要しない。私と隣の男性に、用事と呼べるほどのことなどありそうにもないと思うのだが……。


「ああ、ちょっと出てきてもらえませんかね。お話がありまして……」


「あ、いえすみません。今ちょっと手が離せないものでして……。何かありましたらこのままお伺いしますが……」


 いくら隣の住人だからと言っても、淫虫症の私が男性と接触する訳にはいかない。

 ついさっき夫と約束もしたばかりなのだ。できればドアを開けずに対処できることであって欲しいと願う。


「いえ、大丈夫です。急いではいませんので、待ってます。じゃあ、手が開いたら出てきてください」


「え? あ、いや、その……」


 それは困る。出られないからこそ、そう言っているというのに。


「す、すみません。それはちょっと……。と、とりあえずご用件を聞かせてもらえませんか」


 私が催促すると、彼は少し機嫌を損ねたようだった。


「何なんですか奥さん、さっきから。奥さん、ご近所付き合いもできないんですか? そんなに私が怪しい人物に見えますか」


 明らかに怒気を含んだ声色。


「あ、いえ、そんなことは!」


 自分でもドアを開けないことが失礼であると、重々承知しているのだ。

 でも、できない理由があって……。

 ああ、こんな時、「自分は淫虫症だから」と説明できれば簡単なのに……。

 けれどそんなのは、「自分はセックス依存症である」というのとそう変わらないのだ。

 隣の住人相手に、とても言えることではなかった。



 その後も、何とか用件を聞き出そうする私。

 しかし、彼は一向に答えようとしない。替わりに、「出てきてください」の一点張りである。

 そのしつこさはどこから湧いて出てくるのかと問い詰めたくなるほど、彼はドアの前から動こうとしない。

 最後には、ピンポンピンポンとうるさくチャイムを鳴らし続ける始末である。

 どうしよう……。

 このままじゃ、他の住人からも変な風に見られちゃうじゃない……。


「用事がないなら帰ってください」


 いい加減焦りも頂点に達した私は、無礼な隣人にそう言って受話器を置いた。

 けれどそれは逆効果だった模様。

 小太りな男は、ドンドンドンドンと、今度はドアを直接叩き始めたのである。


「もう、何だって言うの?」


 私は泣きそうになり、ソファに倒れ込んでクッションに頭を埋めた。

 しかし、それでも鳴り止まない大音声。



 数十分が経過し、ついに私は折れた。

 もう一度受話器を取る。


「わ、分かりました。出ます! 出ますから……もうドアを叩くのはやめてください!」


 扉の鍵は外して、ドアチェーンを掛けたままで少しだけ開ければいい。

 わずかな隙間だけれど、そこから顔を合わせて対応すればきっと彼も満足してくれるはずだ。

 私はそう思いつつ、玄関へと足を運んだ。


 ガチャリ。


 ドアチェーンだけはしっかりと掛けたまま、鍵を外して扉を開ける。

 隙間から恐る恐る外を覗き込むと、すぐ目の前、数センチの距離にヌッと男の顔が突き出てきた。


「きゃっ!」


 思わず悲鳴を上げてしまう。





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[ 2011/11/29 13:04 ] 淫虫症の女 | TB(-) | CM(-)
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