「どう? 楽しんでる!?」
このクラブの常連の一人である、由紀子に声を掛けられた。
決して美人ではないが、明るく愛嬌のある彼女。
短大に通う彼女は、男っ気を求めてこの場所に通っているのだという。その言葉どおり、彼女も私と変わらない派手な格好をして、若い肌を露出させている。
この子も相当な遊び人で、今日ここにいる男たちとは一通りカラダを重ねているはずだった。
ちなみに、女同士には格の上下などない。特にこの子なんて、人懐っこいのだけが取り柄のようなものなのだから──年上にも余裕でタメ口である。馴れ馴れしく話し掛けられたからといって、怒ったりする人はいない。もちろん私もその一人だ。
「うん、楽しいよ!」
ついつい私も、男たちに見せている女王様の仮面を外して、笑顔を浮かべてしまう。
なんだか妹にでも話し掛けられている気分。
「主婦してた時と比べてどう!?」
「はぁ?」
いきなり何を聞くのかと思えば……。
私は唐突に、主婦なんてことをやっていた時期もあったんだ──などと思い出し、肺に取り込んだ煙を鼻から噴き出してしまった。
「当たり前じゃん! 家にいた時なんて、楽しいのたの字もなかったよ!」
急にそんなことを聞くあたり……適当な男を捕まえて、主婦にでもなろうとしているのかもしれない。
「そっかー、やっぱそうだよねー」
話を聞けば、本当に結婚するアテはできているらしい。
彼女はそれからもグチグチと私に悩みを相談し、そして思いついたように、
「ところで今日あの二人は?」
そう尋ねてくるのだった。
「ん? いないよー。今日は来ないって」
私が煙を吐きながら答えると、
「ふーん、じゃあ好き放題できるね。今日はどの男を連れてトイレにこもるの?」
などと抜かす。
「何よそれ、私が毎日男連れてトイレ行ってるみたいじゃん」
「えー、行ってるじゃん実際。毎回すごい声出してるからバレバレだよ?」
「ん? えっと、いや、そんなことは……あ、そだ、それ他人じゃない? ほら、美咲とか?」
「またまたー。いいじゃんそれぐらい。今度私と一緒にトイレにこもる? いいよ私、女同士のキスも大好きだから」
そんなことを話していた時だった。
突然、入り口に近い方から怒鳴り声が聞こえてきた。
誰かと誰か──男同士が争っているような大声。
ケンカだろうか? しかし、ケンカには慣れているはずの周りの不良どもまでが、驚き戸惑っている。
鳴り止まない音楽の中、その場にいた全員が動きを止め、振り返って何事だと注目する。
私も、足裏をマッサージしていた男を下がらせ、とりあえずヒールを履き直す。
入り口のドア付近で起こっていた騒ぎが、段々とフロアの中ほどにまで進んでくる。
そしてその時になって、ようやく私はコトの全容を把握したのだった。
「離せ!! 妻を返せ!! うるさい!! ここにいるのは分かってるんだ!!」
人の波が割れ、その向こうから──左右の腕を抑えられながらも、顔を真っ赤にして暴れ続けている一人の男が姿を現したのだ。
「!」
その人物の顔を見た瞬間、私は思わずソファーから腰を浮かせてしまった。
驚きとショックで、言葉が出てこない。
「……な、何してんの……!?」
どうしてここが?
目の前で怒鳴り散らし、制止しようとする男たちを振りほどいているのは──まぎれもなく自分の夫なのだった……。
一年以上、会うこともなかった彼が、いま目の前にいた。
おそらくは家に帰ってこない妻の行方を調査し、ここに出入りしていることを掴んだのだろう。
そして今まさに……強行突入しているのだ。
暴れていた夫も、私と目を合わせた瞬間にはピタリとその動きを止めていた。
その代わりに、彼の目だけは激しく動いている。
私の身体を上下に何度も確かめ、ようやく目の前の派手な女が自分の妻なのだと理解すると──小さくうめき声のようなものを漏らすのだった。
が、一瞬の後、彼は周りの男たちの腕を振り解いて、
「帰るぞ!」
私に歩み寄り、腕を掴んできた。
「……!」
手の跡が赤く付いてしまうんじゃないかというほどの、ものすごい力。
私は反射的にその手を振り解こうとしてしまう。
「い……いやっ! やめてッ! 離してッ!」
ケンジとユウイチの女であり、このクラブの女王様が襲われているのだ。事情の飲み込めていない者も、何となく察しがついている人間も──全員が無礼な男を取り押さえにかかった。
男たちに、その手を離せと言われて──、
「コイツは俺の妻だ!」
そう叫ぶ夫。
けれど不良男たちに道理を説いても仕方がない。彼は幾人もの男たちに囲まれて、私から引き剥がされていく。
そしてフロアのちょうど中央あたりにまで引きずり戻されていった時、事件は起こった。
なんと夫が、後ろから掴みかかってきた一人の男を振り向きざまに殴り飛ばしたのだ。
女の悲鳴が上がり、次の瞬間には──夫はさらに別の男へと飛び掛かっていた。
不良たちはブチ切れた。
一瞬でフロア中央に乱闘騒ぎが広がっていく。
何も考えずただがむしゃらに腕を振り回す夫は、最初のうちは十数人の不良たちに囲まれつつも優勢を確保していたのだ。
が、背後から誰かに背中を蹴られ、顔面から床に倒れ込んでしまうと──後は起き上がることさえできなくなった。
彼は床に転がったままで、何人もの男たちに体重をかけた蹴りを浴びせられ続けたのだ。
取り囲む男たちの中には、顔面を殴られて鼻血を出している人までいる。彼らは興奮した様子で、怒りに身を任せて夫のことを痛めつけていく。
「ヤバくない? あれ。止めないと死んじゃわない?」
隣で、困り顔の由紀子が言う。
なおも夫は足蹴にされている。それは、ケンカなど見慣れていない私が見ても、明らかに命の危険があると思われるほどの激しさだった。
くの字に身体を折った夫は、ホコリにまみれて床を転がる。その口元からは、真っ赤な血が流れ出している。
慌てて私は、彼らのそばまで走った。
「ねぇ! やめて! もういいでしょ!?」
必死になって声を上げるが、興奮した男たちはどんな言葉も聞き入れてはくれなかった。私は輪の中にすら入れず、うろたえるのみ。
そんな時、誰かが言った。
「いくら姉さんの頼みでも、今回ばかりは無理だ! 許せねぇ! ぶっ殺してやる!」
すると、夫に殴られたのだろう──顔を腫らした複数の男たちも「そうだそうだ」と大合唱をし始めるのだ。
「やめて! お願い! ホントに死んじゃうから!」
鳴り響く音楽や男たちの怒声にかき消されまいと、喉が痛くなるまで声を張り上げる。
「やめられねぇよ! 姉さんが今ココでヤラしてくれるってんなら別だけどよぉ!」
何気ない一言。私はそれにすがりついた。
「わかった! じゃあ──私が何でもしてあげるから! だからここはもう抑えて!」
私のその言葉を聞いて、初めて男たちの動きが緩んだ。
しばらくすると、彼らは思い思いに顔を上げてこちらに顔を向けるのだった。
「え? ……何でも、ヤラしてくれるって?」
「うん! 何でもするから!」
「……じゃあ、今この場でヤラせろっていったら?」
「やらせる! だから……もうこれ以上はやめてお願い!」
ピチピチのワンピースに身を包み、肌も露に息を荒げて叫ぶ私。
「あ、姉さんがそこまでいうならじゃあ……分かったやめるけど……。でもホントにいますぐこの場でヤラしてくれんの? ケンジさんやユウイチさんに言わない?」
「言わない言わない」
そう言う彼らの視線は、早くも私の身体に注がれている。
「んー、じゃあ……いいかな。でもホントにいいの? 絶対言わない?」
「もちろんよ。ありがと……」
ようやく、夫に対する攻撃は収まった。
輪になる男たちの中央で、夫はほとんど失神寸前といった様子だった。ダンゴムシのように身体を丸めて、うめき声を上げている。
私はさらに彼が安全になるようにと、言葉を続けた。
「じゃあ……どうしようっか。脱げばいいのかな? あ、その人もう邪魔だから、避難させてあげてよ」
さっきまで私の足をマッサージしてくれていた子に頼み、夫を輪の中から連れ出してもらう。
「もう怒ってない?」
太ももに食い込んだスカートのすそを、じりじりと上げて、男たちの機嫌を確かめる。
「ああ……もちろんだよ、痛みなんてふっとんじまった」
「姉さんがヤラしてくれるってマジかよすげー」
「こうなったら……たっぷり可愛がってやるぜ……」
「おい! 誰かソファー持ってこい!」
興奮覚めやらぬ男たちは、怒りをそのまま性欲に変えて、私に近づいてくる。
フロアの中央にソファーで大きなベッドが作られていく。
夫がすでに輪の外まで運ばれていったのを確認して、私はソファーのベッドに上がった。
彼らを誘惑するようにワンピースを脱ぎながら、いつまた夫へと向けられるかもしれない衝動を全てこの身に受け止めようと思った。
舌を出しながら、足を肩幅に開き──挑発的に腰をくねらせてみせる。
クラブ中に、男たちの歓声が沸き起こった。