私は頭部を垂れて、革のベルトに身を任せていた。
目を覚ましてもなお、身体はぐったりと脱力したままだった。あまりにも激しく喘ぎすぎたせいで、完全に体力が失われている。
あれから、状況は少しも変わらない。
私はいまだに完璧な全裸で、壁にはりつけにされている。
いや、──身体中に男の体液が付着して、それが乾いてパリパリと音を立てているのだ──これは全裸以下の最低な状態であるかもしれない……。
男が去ってから、何時間経ったのか。
──ここに来てから、何日経ったのか。
窓も時計もない部屋にあっては、体内時計だけが頼り。
が、私はすでに何度も意識を失わされているのだ。それも、頻繁に、不規則に。
もはや自分の感覚すら当てにはならない。
本当に、まったくの手がかりなし。まるで時間の大海原に投げ出されたようで、漠然とした不安が胸をしめつけてくる。
まさか、いつまでもこのままということはないと思うのだけれど……。
男が部屋に入ってきた。
手にはコンビニの袋を提げている。
彼は部屋の真ん中──マットレスの上に腰を下ろすと、ビニール袋からお弁当を取り出してフタを開けた。
密閉された狭い部屋の中に、食べ物の匂いが広がる。
ぎゅるるるるる。
(──ああ、おいしそう……)
視覚と嗅覚が刺激されて、胃が派手な音をたてて蠕動する。
そういえば、ここに来てから何も食べさせられていない。こんなにもお腹が空いているのだから、相当な時間が経っているのだと改めて思う。二日、もしかしたら三日ということもあるかもしれない。
きっと物欲しそうな顔をしてしまっているんだろうなと思いつつも、私はそのお弁当から目を離すことができなかった。
そんな私に気付いているのかいないのか──はたまた気付かないフリをしているのか──男はガツガツとおいしそうにお弁当をかき込みはじめた。
その容赦のない食べっぷりに心配になる。
──私に食べさせる気はないの?
叫びたかった。
が、そんなことをしてしまうと……憎い男に食べ物をくれと懇願しているのとかわらないことになってしまう……。
私はツバを飲み込むのと一緒に、言いたいことも腹に収めるしかなかった。
するとふいに男が箸を休め、こちらを見た。
私と目を合わせて、言う。
「なんや? 食いたいんか? 腹減ってんのか?」
「……」
──何をとぼけたことを。拘束したまま食事も与えないのはどこのどいつだ。
しかし私は男の狙いが何なのか計りかねて、どう言い返していいのか分からずにいた。
食べさせたいなら、素直に食べさせればいいだけの話ではないか。今さら分かりきったことを聞いてどうしようというのだ。
そんな風に考えている私に、男はこともなげに言った。
「そやな、もし腹が減ってる言うなら……口移しでよかったら食わせたるぞ」
「──っ!」
実際に男は大口を開けて、口の中にある──まだ噛み終っていない、食べ物とも呼べなくなった汚物を見せつけてくる。
意表を突かれた私は、その口の中でぐちゃぐちゃになったものを直視してしまう。
「──っ、ふざけるなっ! 誰がそんなものを!」
背筋に寒気が走り、バカにされたという怒りだけが込み上げてきた。
私は言葉ではぬるいと、ツバを吐いて睨みつけてやった。
が、男は痛くも痒くもないといった顔で、
「ほな、いらんいうことやな」
それだけ言ってまた自分の食事を再開してしまう。
「……くっ……」
やがてお弁当をすべて平らげた男は、デザートにプリンまで食べた。
男は自分の飲んでいたお茶の残りをムリヤリ私に飲ませて、そして満足して出て行ってしまった。
水分の補給だけはできた私だが、逆にそのおかげで胃が刺激されてしまい、先ほどよりも何倍もの空腹感に苛まれることになるのだった。
そんなことを、何度も繰り返された。
おそらくは、朝、昼、夜なのだろう──男は定期的に私の前に現れては、目の前で食事をするのだった。
そして毎回「口移しでなら食わせてやるぞ」と言い、咀嚼した食べ物を見せつけてくるのだ。
もちろん私は頑なに拒否した。
当然だ。あんなものが食べられるわけがない。
すると男は、私に水分だけを大量に取らせては帰っていくのだった。
それが、十数回も続いた。
すでに何も食べずに一週間近く経っているはずだ。
水分だけは取っているので、死なずには済んでいるが──。
私は胃に穴が開くのではないかというほどの、経験したことのない強烈な飢餓感に苛まれていた。
長期間食事を取らないとどうなるんだっけか……。今はまだ見えていないけれど、そのうち幻覚まで見えるようになるのだろうか……。
誰がどうみても、極限の状態だと思う。精神的にも、肉体的にも。
水分だけ取らされているせいで、おしっこは垂れ流しだし──ずっとお風呂にも入っていないせいで身体からヘンな匂いを発しているし──。食べていないから大きい方が出ないのは不幸中の幸いだけれど……。
本当に、死というものの存在を近くに感じる。このままなら、確実に私は死ぬのだと実感できる。
その時。
ふと、恐ろしい想像が頭をよぎった。
こんなことをする男──アイツは、もしかすると本当の異常者なのではないか。
いや、私にこんなことをしている時点ですでにこれ以上ないほどの異常者ではあるのだが、それよりも、もっと……。
──たとえば、自宅の部屋で人が飢えて死んでもまったく何も思わないような。
──たとえば、今までにも多くの女を実際に殺してきたとか、それぐらいの。
「……」
思わず身震いしてしまう。
もしかすると私は、お姉ちゃんにあんなことをされても、自分自身にこんなことをされていてもなお──それでもまだ心のどこかで──あの男のことを信頼していたのかもしれない。
いくらなんでもお風呂には入れてくれるだろう、とか。
いくらなんでも食事は与えてくれるだろう、とか。
いくらなんでも人を殺すことはないだろう、とか。
そこまでの鬼畜ではないと、心のどこかで思っていたのではないか?
アイツのことを、甘く見ていたのではないか?
本当のアイツは、部屋で女が一人飢えて死ぬぐらいのことは何とも思わないのではないか?
そうだ、この家の周りは人の来ない深い森なのだ。
そこらに穴を掘って埋めるだけで、死体の処理なんて簡単に済む。
果たしてアイツが、今までに何人も女をさらっていたとして──その全員を解放してきたのだろうか。
[ 2012/01/09 12:42 ]
姉のカタキは女殺し |
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