脱衣所は屋外にあった。
露天風呂へと繋がる出入り口を抜けてすぐ、石畳の横にたくさんのカゴが並んでいる。
上から下まで結構な数のカゴに、脱いだ服や浴衣が入っている。
中にはすでに何人もの人がいるのだ。
緊張のせいで身がすくむ。
ただでさえ混浴なんて初めてなのに、今日は先生と一緒なのだ。何をされるか分かったものではない。
中に一人でも女の人がいてくれたらいいのに──そんなことまで願ってしまう。
「さあ、浴衣を脱いでください」
隣ではさっそく先生が全裸になっていた。
タオル一枚だけを手にして、前も隠さずに堂々としている。
私は唇を噛む。
夫には検査があると言っておきながら、自分は一体何をしているのか。
彼以外の男性とまるで夫婦のように旅行をして、二人裸で温泉に入るなんて……。
──けれど私は、先生の言うとおりにする他ないのだった。
腰の結び目を解いて、浴衣の前をはだける。
中には下着も着けていない。胸、お腹、太もも──素肌が露出されて一気に背徳感が増す。
その時、ガラガラと戸が開く音がした。
驚いて後ろを振り返ると、そこには浴衣を着た一人の男性客の姿があった。
私も驚いていたけれど、彼の方も目を丸くしてしばらくの間立ち尽くしていた。
混浴だからといってまさか本当に女がいるとは思わなかった──そんな顔でこちらを見つめてくる。
私はすぐに視線をそらして、恥ずかしさに下を向いた。脱ごうとしていた浴衣の前を再び閉じる。
私としては、彼が先に行くまでこの場で待っていたかった。
が、先生に「早くしなさい」と急かされてそれもできなくなってしまった。
男性は少し離れた場所に並び立ち、こちらを気にした様子で自分のカゴに手を伸ばす。
覚悟を決めて、浴衣を脱いだ。するりと肩を露出させ、片方ずつ腕を抜いていく。全身の肌が、二人の男性の前にさらけ出される。
脱いだ浴衣を軽く畳んでカゴに入れると、とたんに心細くなった。最後の一枚、薄皮までもが剥がされた気分。他人の視線から身を守る鎧が何一つないのだ。
見知らぬ男に、横目でちらちらと見られている。それだけで、手で撫でられるのと同じような感覚が肌の上に走った。
カゴの中にあるタオルを取ろうとすると、先生に腕を掴んで止められた。
驚いて振り向くと、彼は黙って首を振るのだった。
タオルは持っていかなくていいです──そういうことらしかった。
私はしぶしぶ腕を下ろし、左手で胸元を、右手で股間を隠して──うつむきがちに身体の向きを変えた。
先生の後ろについて、露天風呂へと続く石畳をペタペタと裸足で歩き出す。
丸出しの背中とお尻に、痛いほどの視線を感じてしまう。
きっと気のせいではない。背後からはあの人が、じっと私の肉を凝視しているのだ。
が、そうだとしても──タオル一枚持つことを許されない今は、どうすることもできない。
ここから先、私は男性のいやらしい視線から絶対に逃れることができないのだ……。
少し歩けば、すぐに視界が開けて露天風呂の全体が見渡せるようになった。
怖かったので、先生の身体に半分ほど身を隠して中の様子を窺ってみる。
相当に大きな温泉だった。五十人以上は楽に入れるといったサイズで、その中央には巨大な黒い岩がどかんと設置されている。
何人もの男性──ほとんどが先生よりも年上のようだ──がその岩に背中を預けてお湯に漬かっている。
頭の上にタオルを乗せていたり、ばしゃばしゃと顔を洗っていたり、それぞれくつろいだ様子である。
洗い場も広々としていて、十人以上が同時に座れるようになっていた。今も二人の男性が椅子に座って身体をこすっている。
見る限り、中年以上の男性の姿しかない。半数以上が老人といっていいぐらいの高齢者だった。
全部で、十二人。
いや、岩の向こう側にも誰かいればもう少し増える。後から確実に一人は入ってくるので、さらに増えて──結局年配の男性ばかりが十五人ぐらいということになるだろうか。
結構な人数だった。
その中で、女は私ただ一人。
若いといえる人間も、私一人だけだった。
しかもその私がタオルの一枚も持たずに、完全に素っ裸でいるのだ。
そもそもが温泉なので、おかしなことではないけれど……。
普通なら絶対にありえないことだった。
混浴温泉なんていう場所じゃなければ、犯罪として扱われてもおかしくないシチュエーションだ。
男湯に間違って入ってしまった女──まさしくそんな状況に身を置きつつ、私はもじもじと戸惑うしかなかった。
先生はうつむく私に構わず、ずかずかと大股で洗い場へと歩を進める。
私も取り残されないよう、両手で前を隠しながら必死になってついて行く。
お湯に漬かっている人たちはみな、新しく入ってきた私たち二人の方に視線を送ってきていた。
混浴といっても、若い女がくることは滅多にないんだろうと思う。
みんな興味深そうに目を輝かせてこちらを見つめてくる。中には口笛を吹いて露骨に囃し立てる人もいた。
羞恥で顔が熱くなった。
洗い場の両端には二人の男性が座っていた。
片方は頭を洗っていて、こちらには気がついていない。腕にも足にも胴体にも、しっかりと筋肉がついている──五十代ぐらいの男性。
もう一人は七十代か八十代か──とにかく老人と呼ぶに相応しい、痩せた体躯の男性だった。彼の方はこちらに気が付いていた。身体を泡だらけにしたままで、遠慮のない視線を私の方に向けてきている。
知らない人の前でヌードになるなんて、今までの人生ではありえなかったことだ。今後もないと思っていた。
少しだけ後ろを振り返ってみれば、お湯に漬かっている十人ほどの男性たち──五十代、六十代、七十代と年齢もまちまち、太っている人もいれば痩せている人もいる、多くが頭髪を薄くしてはいるが──彼らもまた全員揃ってこちらを見つめていた。
私は怖くなって前に向き直り、彼らの異常な視線から身をそらす。
けれど背中やお尻には、ピリピリとした感覚がいつまでも残るのだった。
たぶん私はここを出るまで、様々な角度から男性たちの視線を浴び続けることになるのだ……。
先生はちょうど真ん中の椅子に座って、シャワーを手に取り、お湯を出していた。
私もその隣に移動し、温泉に入っている男性たちに背中を向ける。椅子に座って小さく屈むと、ほんの少しだけ恥ずかしさが和らいだ。
が──。
こうしていると、本当に私と先生は夫婦であるかのような感じだった。きっと私たち以外の全員に、そういう関係だと思われているに決まっていた。
自分には本当の夫がいるし、先生はあくまでも先生なのだ。こんな状況だから、頼れる人が彼しかいないから、仕方なく寄り添うように行動しているだけなのに……。
不本意極まりないことだった。家で留守番をしている夫に申し訳ない気持ちになる。
そんなことを考えているうちに、先生はタオルに石鹸をつけて身体を洗い始めていた。
私は蛇口をひねってお湯を出したはいいが、タオルがないのだ。どうやって身体を洗えばいいのか分からないまま困り果てる。
仕方なく指先や足先にお湯をかけていると、端の方で身体を洗っていた男性──痩せた老人の方だ──が、席を立ってこちらに歩いてきた。
彼は私の隣に座り直すと、まだ泡だらけのタオルを差し出し、こう言うのだった。
「お嬢さん、タオルがないのですか。私が洗って差し上げましょうか」
冗談を言っている感じではなかった。
先生の方を見ても、特に何の反応もない。
状況が分かっているはずなのに、「好きなようにしてください」と言わんばかりに黙って自分の身体を洗い続けている。あえてこちらを無視しているような素振り。
明らかにおかしな出来事だった。
夫婦だと思われているなら、こんなこと絶対にありえない。
横に夫がいる裸の女性に向かって「身体を洗いましょうか」なんて……。
しかも夫役である先生までもが黙って見過ごしていて──。
まあ、それを言うなら、素っ裸でタオルも持たずに混浴温泉に入りに来ている私からして異常な訳だけど……。
やっぱり、そういうことなのだろうか。
先生はここの常連だと言っていた。女将さんとも知り合いのように話をしていた。もう二十人ぐらい、不妊に悩む人妻を連れて来たとも言っていた。
「……」
もしも私の予想が当たっているなら。
この場にいるほとんどの人が、一から十まで事情を知っているのではないか──。
今まで二十人近くここに来た、その女性たちの相手をしていたのが、今ここにいる男性たちだとしたら──。
そして私が二十数人目の、不妊に悩んで“女性ホルモン”を分泌させに来た女なのだとしたら──。
大きな不安に襲われて、思わず身震いしてしまった。
隣ではなおも老人が皺の多い顔でニヤついていた。手には、彼が自分の身体を洗っていたタオルが握られている。
まだ泡立ったままのそれ──。私は何だかそのタオルがものすごく不潔な気がしてしまうのだった。
彼の身体を隅々までをこすったタオルなのだ。それが、泡を洗い流すこともしないままの状態で差し出されている。
「……」
先生はなおも黙って身体を洗い続けている。
「洗ってもらえばいいじゃないですか」ということなんだろう、きっと。
先生はすべて分かっているのだ。おそらく今この状況、これこそが、彼が私に施したかった“治療”の一つなのだ。
──ならば、観念するしかなかった。
老人がさらに身体を寄せてきて、手にしたタオルを私の肩に置いた。
うつむき、じっと黙って、身動きもせずにその行為を受け入れる。
彼はそんな私の姿に満足したのか、肩から背中にかけて、濡れたタオルを滑らせてきた。
老人の汗や垢を吸ったであろう汚らわしい泡が、身体の表面に塗り込まれていく。
ヒヒヒと薄い笑い声が耳につく。
見れば、老人はその顔に満面の笑みを浮かべていた。ただでさえ皺だらけだった彼の顔が、さらに皺くちゃになっている。
青い空の下、周りを緑に囲まれた素敵な温泉であるはずなのに──。
私たち三人の周りには、言葉にできないほどいやらしい淫靡な空気が漂っているのだった。